清水のブログ

「いち」大学生の日々

前回書いた記事への違和感

前回の記事を書いてから、正体のわからない違和感がありました。(↓前回)

www.shimizu-blog.com

どうやらこれかな?ってのが見つかったので書いておきます。

 

違和感があったのは「自称」問題だと思います。

「HSP 自称」でググったら、僕と同じように違和感を感じている人がいました。

note.com

note.com

mental-kyoka.com

3つの記事に共通するのは「極端化はよくないのでは」ということです。

HSPは医学的な概念ではないので、自称すれば誰もがそうです。

「私はHSPだから」と何でも関連付けるのは変じゃないか?と思いました。

前回紹介した本の題は『敏感すぎて生きづらい人のこころがラクになる方法』で、「HSP」という名前は書いてありません。

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HSPという言葉があまり一般的ではないからというのもあるとは思いますが、「HSP」と書いてしまうと、読む人もそれに縛られてしまう、というのもこの題の理由のように思います。

実際、内容には「自分はHSPだから・・・と枠に囚われないことが大切」「極端化せずに幅を持たせて考える」とあります。

HSPとは、もともと「恥ずかしがり屋、内向的、引っ込み思案、怖がり・・・」などの性質を概念化したものです。

概念として考えることで理解しやすくなり、研究が進むとは思いますが、根本にあるのは個人の性格です。

例えば「内向的で怖がり」な人はHSPの傾向があるかもしれませんが、「HSPだから内向的で怖がり」ではありません。また、時に外交的な面があったのに「HSPだから本当は外交的じゃないんだ」と思い込んでしまっては本末転倒です。

HSPという概念を知り生きづらさを軽減するつもりが、枠に囚われて自ら可能性を狭めてしまっています。

僕は↑の本を読んで、自分の特徴に当てはまるなぁと思い、書かれている考え方や対策を参考にしていくらか気が楽になりました。

「生きづらさを感じて本を読んだ→ 自分と照らし合わせた→ 対策など学んだ→ 気楽になれて良かった!」

これが一番大切なのではないでしょうか。

自分を新しい角度で見た経験が大切であって、「HSP」という言葉に固執する必要はないと思いました。

僕の書いた前回の記事では、HSPという言葉に拘りすぎた気がします。それが違和感の正体だと思います。

前回書きたかったのはいわば「自分はこういう人です」という自己紹介なので、HSPという言葉自体は重要ではないのです。

書いてみたらなんとなくスッキリしました。